Cuddle Column
既婚者向け総合メディア Cuddle Place (カドル プレイス)とは

平安時代の恋愛と不倫事情

2025.04.28

平安時代の貴族たちの恋愛と結婚事情をカジュアルに解説。通い婚や和歌を用いたロマンチックな恋の進め方から、不倫に対する当時の価値観、源氏物語や和泉式部のエピソードまで、平安朝の恋愛観を現代と比較しながらわかりやすく紹介します。

平安時代の貴族たちって、現代とはまるで違う恋愛スタイルだったんです。結婚しても一緒に住まない「通い婚」や、和歌(短歌)や手紙を駆使したロマンチックなアプローチなど、ドラマチックな日常が繰り広げられていました。​不倫(浮気)が意外とオープンに行われていたという話も…? 本記事では平安時代の恋愛結婚事情、そして不倫事情について、ライト層向けにわかりやすく紹介します。源氏物語や和泉式部など有名な文学作品・人物のエピソードを交えながら、当時の恋愛観や倫理観をひも解き、現代との違いや共通点もまとめます。

平安貴族の結婚事情:通い婚ってどんなスタイル?

まずは平安時代の結婚事情から。平安貴族の結婚は現在のような夫婦同居が当たり前ではありませんでした。典型的なのが「通い婚」(妻問婚〈つまどいこん〉)と呼ばれるスタイルです。文字通り夫が妻の元へ「通う」結婚形式で、当時はこれが一般的だったのです​。

  • 通い婚の基本:夫婦は別々の家に暮らし、夫が夜ごと妻の家を訪ねます。妻のほうから夫に会いに行くことは基本的にできないため、妻はひたすら夫が来てくれるのを待つ生活でした​。
  • 女性の実家が重要:妻は結婚後も自分の実家に留まり、子どももそこで育てます。夫は訪問客という形なので、女性の親族の庇護下で婚姻生活が営まれることになります。夫から見ると、奥さんの実家に婿入りする感覚ですね。
  • 複数の妻を持つことも:この形式だと夫は複数の女性の家を順番に訪ねることも可能です。実際、権力者ほど正妻以外に複数の妻(側室)を抱えていました。たとえば藤原道長は正妻が2人いて妾(側室)が8人もいたと言われています​。いわば「ハーレム状態」ですが、当時はそれも男の甲斐性として許容されていたのです。

では、平安時代の結婚がどのように成立するか、その流れを見てみましょう。平安貴族の恋愛・結婚には独特のプロセスがあり、だいたい次のようなステップを踏んでいました​。

  1. 噂(うわさ)で相手をリサーチ:お見合いのような場はありません。まずは「○○家の姫君が聡明で美しいらしい」などといった噂話で相手の情報を集めます​。高貴な娘ほど親が他人に顔を見せないよう育てるため、男性は垣間見(かいまみ)といって垣根のすき間からこっそり女性の姿を覗き見ることもありました​。まさにチラ見から恋が始まるのです。
  2. 男性が和歌で求愛:気になる女性がいれば、男性は自作の和歌を書いた手紙を使者に託して女性のもとへ届けます​。和歌はラブレター兼アピールポイント! 届ける際に使者が男性の氏名や身分も伝えるので、女性の親もそれを知り、「どれどれ、どんな男かしら?」と興味を持ちます。同時に女性側の家族は男性の背景や人柄を調査開始。送られてきた和歌の出来栄えから彼の教養や将来性を品定めしました​。
  3. 女性から返歌(へんか):男性からの和歌に対し、女性側が気に入らなければ無視(返信しない)という静かな拒絶で応じます​。逆に「ちょっと良いかも」と思えば和歌で返事を出しました。ただし最初の返歌はなぜか一度はお断り風に書くのが礼儀​。この段階では本人ではなく女房(侍女)や父母が代筆して様子を見るケースもあったようです​。その後、何度か歌のやりとりを重ね、お互いの気持ちを盛り上げていきます。
  4. いよいよ夜に訪問(初夜):和歌の交換で良いムードになったら、男性は夜こっそり女性の部屋に訪ねていきます​。最初は御簾(みす)や襖越しに対面し、まず和歌の生詠みで会話するという奥ゆかしさ​。しかし気持ちが通じ合えばそのまま契りを結ぶ(肉体関係を持つ)流れに。​男性はどんなに楽しくても夜明け前には自宅へ帰るのがマナーでした​。お泊まりはNG、忍んで帰るのが平安流です。
  5. 「後朝の文(きぬぎぬのふみ)」=朝の手紙:一夜を共に過ごした後、男性が女性を本気で気に入った場合、翌朝すぐに感謝と愛情を込めた手紙(短い和歌)を送ります​。これを「後朝の文」といい、「昨夜は楽しかった、あなたを大切に思っています」という内容のラブレターです。送り出すのが早ければ早いほど熱心な気持ちの表れでした​。もしこの手紙が来なかったら…それは「昨夜かぎりの関係」にされたという悲しいサインになります​。平安時代にも今でいう“ドタキャン”や“音信不通”はあったわけで、女性にとってそれはとても残酷な仕打ちでした。
  6. 三日通えば正式な結婚成立:男性からの朝の手紙のやりとりが続き互いに想いが固まると、その後3日続けて女性のもとに通う習慣がありました​。3日目の夜には「三日夜の餅(みかよのもち)」という餅を女性の家で共に食べる儀式を行います​。男性が女性の実家で用意した食べ物を口にすることで、晴れて一族に婿として迎えられた証拠となり、これにて結婚成立!​その後、所顕(ところあらわし)という披露宴(お披露目)を行い、周囲にも「二人は夫婦になりましたよ」と発表するのです​。

以上が平安貴族の一般的な結婚プロセスです。「3日通えば正式な妻」というのは現代から見るとずいぶんスピーディーですね。​逆に言えば、3日通わなければ自然消滅(破局)。ある意味お互いズルズル関係を引きずらないで済む合理的な制度だったのかもしれません。​

☆豆知識:平安時代の結婚あれこれ

  • 年齢差と年上女房:平安時代の初婚は男子15歳(元服後)・女子は12歳頃(裳着〈もぎ〉といって成人の装いをするとき)から可能でした​。とはいえ貴族の場合、初婚では夫が年下・妻が年上というカップルも珍しくありません。実際、藤原道長が正妻の倫子(りんし)と結婚したときは道長22歳、倫子24歳でした​。「年上女房」がごく普通に受け入れられていたのも現代との違いですね。
  • 妻の数と身分:先述の通り夫が複数の女性と関係を持つこと自体は珍しくありません。ただし妻たちの身分には「正妻」「次妻」「妾(側室)」といった格付けがあり、正妻には結婚式(所顕)があったのに対し、側室には式がなく家柄的にもやや下の立場でした​。とはいえ側室であっても当時は「○○の妻」と呼ばれ、一応公認の関係ではあったようです​(後世の大奥のような日陰者扱いとは少し違います)。

以上のように、平安貴族男性にとって結婚は一人の女性と一生を添い遂げるものというより、“気に入った女性とはとりあえず関係を持ってみる”ぐらいのカジュアルさもあったようです。逆に女性から見ると、自分の意思で結婚相手を決めることはできず、親が承諾した相手を受け入れるしかありませんでした​。女性の結婚決定権は平安中期にはほぼ無かったとされ​、結婚とは「縁談を持ちかけられて父母がオッケーを出す」ものだったのです。

和歌と手紙で紡ぐロマンス:平安時代の恋愛手段

平安貴族の恋愛には欠かせないアイテムが二つありました。それが「和歌」と「手紙」です。先ほどの求婚ステップでも登場しましたが、当時は今のようにデートして直接会話…というわけにはいきません。貴族の女性は人前で顔を見せないのが作法で、特に独身女性は父親以外の男性と昼間に会うことはできませんでした​。そのため、男性はチャンスがあれば垣間見で女性の姿を盗み見し、あとは噂話や紹介役から得た情報を頼りに手紙を送るしかなかったのです​。

雅なラブレター文化

顔もなかなか拝めない相手同士、文(ふみ)=手紙のやりとりが恋愛の命綱でした。平安時代のラブレターにはロマンチックな工夫が満載です。

  • 和歌で想いを伝える:手紙には必ずと言っていいほど短歌(和歌)が添えられました。五七五七七の和歌一首で相手への想いをオシャレに表現するのです。「夕べ見た夢の続きにあなたを恋しく思う」なんて情緒的に綴られたらドキッとしますよね。女性は送られてきた和歌のセンスから男性の教養や本気度を判断しました​。イケメンかどうかより、歌が上手い男性=モテる条件だったのです。
  • 季節の風物や匂い:手紙の中身だけでなく、使用する料紙(手紙の紙)や香りにも凝りました。四季折々の草花の絵があしらわれた美しい和紙に雅な筆跡で書き、手紙そのものに香を焚きしめて良い香りをつけることもありました。相手から届いた手紙の香りで「あの人らしい」と感じたり、筆跡で人柄を想像したりと、五感で恋するのが平安流です。
  • 暗号めいた贈り物:場合によっては物の贈答もしました。花や扇、枝折り戸(しおりど)に挟んだ季節の草花など、「もののたより」といって手紙に添えることも​。直接会えないからこそ、小物に託して気持ちを伝える粋なやりとりが発達したのでしょう。

これらの手紙のやりとりは、お互いの知性と感性を示し合うコミュニケーションでした。現代でいえば、文章の上手なメールやLINEにキュンとする感覚に近いかもしれません。顔が見えなくても文才とセンスで「この人素敵!」と思わせる、まさに文字の恋ですね。

ドキドキの夜這いと明け方の儀式

文のやりとりで気持ちが通じ合えば、その先は夜の逢瀬です。平安時代の男女はデートの代わりに夜這い(よばい)とも言える密会をしていました。

男性は人目を避けて夜に女性の邸を訪ね、しのび込んでいきます​。最初はお互い緊張しつつも、帳越しにしばし会話(和歌の応酬)を楽しみ、それから床を共にする…という流れです​。ポイントは、必ず夜明け前に男性が帰ってしまうこと。平安の恋人たちは、一晩中語り明かした後でも朝日が昇る前に「じゃあまたね」と別れ、それぞれ自宅へ戻るのがマナーでした​。この別れ際の情景を「後朝(きぬぎぬ)」と言い、男女が共にした衣(きぬ)を朝(あした)には別(ぎぬ)つ、つまり夜が明ければ離れ離れになることを意味します。なんとも風流で切ない表現ですよね。

だからこそ、男性は帰宅後すぐに女性へ手紙(先述の後朝の文)を送る習慣がありました​。これが平安のアフターフォローです。現代でもデートの後に「今日はありがとう、またね」とメールすることがありますが、平安男性も負けずに素早く手紙を出したようです​。「楽しかった」「あなたが恋しい」という和歌をしたため、朝日が差す頃に女性のもとへ届けさせる…なんてロマンチック! 一方で何も送らずフェードアウトする男性も中にはいたわけで、千年前にも嬉しい余韻と切ない失恋のドラマが存在したわけですね。

『源氏物語』に見る平安時代の恋愛と不倫

平安時代の恋愛模様を語る上で外せないのが『源氏物語』です。紫式部が11世紀初めに著した長編物語で、「光源氏」という貴公子の波瀾万丈な恋愛人生を描いた作品ですね。まさに平安貴族の恋愛絵巻といえる内容で、作中には様々な恋愛・結婚・不倫エピソードが登場します。

光源氏の華麗なる恋愛遍歴

主人公の光源氏は才色兼備のスーパースター貴公子。彼の恋愛遍歴はきら星のごとく、多くの女性たちとの関係が描かれます。

  • 初恋は義母!?:なんと光源氏の初恋の相手は実の父帝の后(義母)である藤壺(ふじつぼ)という女性でした。禁断の恋と知りつつもお互い惹かれ合い、密かに逢瀬を重ねてしまいます​。二人の間には子(のちの冷泉帝)まで生まれますが、公には父帝の子として育てられるという秘密…まさに究極の不倫関係ですね​。読んでいるこちらもハラハラしてしまいます。
  • 人妻との密かな関係:源氏物語には他にも人妻との恋が度々出てきます。たとえば空蝉(うつせみ)という女性は夫のいる身でしたが、光源氏は彼女に惹かれて夜這いを仕掛けます​。一度は袖をすり抜け逃げられますが(※ここから「空蝉」の名が象徴的に使われます)、後に逢瀬を遂げています。不倫といえば不倫ですが、当時の貴公子にとって人妻だろうと素敵な女性を口説くことはそれほどタブーでもなかった様子がうかがえます。
  • 婚約者もターゲット:朧月夜(おぼろづきよ)という女性は光源氏の兄・朱雀帝の許嫁でしたが、源氏と密会し関係を持ってしまいます​。これも本来なら大問題ですが、物語の中ではロマンティックな情事として描かれています。許嫁を横取り…現代なら週刊誌沙汰ですね。
  • 理想の妻との結婚:光源氏は正妻葵の上(あおいのうえ)との不仲もあり、理想の女性である紫の上(むらさきのうえ)を自分の養女にして育て、成人後に正式に妻とします。紫の上との関係は純愛に近く、長年にわたって深い絆で結ばれました。とはいえ彼女一筋になったかというとそうでもなく、他にも明石の君や花散里など複数の女性との関係を続けています。紫の上はそれを知りつつも嫉妬を抑えて夫を立てる従順な妻でした。光源氏にとって彼女が心の安らぎだったのは確かですが、一夫一婦には収まらない懐の深い恋愛体質だったわけです。

このように源氏物語では光源氏を中心に華やかな恋愛劇が展開します。和歌の応酬、夜の忍び込み、複数の女性との関係など、平安貴族の恋愛スタイルが物語の随所に盛り込まれており、当時の読者もドキドキしながら読んだことでしょう​。

女性から見た“浮気”と報い

光源氏は多情なプレイボーイですが、物語後半には彼自身が受ける報いのような展開もあります。代表的なのが、光源氏の正妻の浮気事件です。

物語第34帖「若菜 下」では、光源氏が40代半ばになった頃に迎え入れた若妻・女三宮(おんなさんのみや)が、光源氏のかつての親友の息子・柏木(かしわぎ)と密通してしまいます​。つまり奥さんの不倫ですね。女三宮は幼く純真な女性でしたが、年の離れた夫源氏に構ってもらえず寂しさからか、つい柏木と関係を持ってしまい、その結果子供(薫)を身ごもります​。光源氏は自分が若い頃さんざん浮気をしてきたツケをここで食らった形です、と東洋経済オンラインの記事筆者も評しています​。「光さん、しっぺ返しをくらった感じですね」というわけです​。

柏木は親友の妻に手を出した罪悪感から病に伏せり、結局若くして死んでしまいます。女三宮も出家してしまい、残された光源氏は深いショックを受けます。こうして見ると、平安時代でも不倫は全てがハッピーエンドではなく、当事者たちを苦しめる場合もあったことがわかります。

和泉式部に見るリアル平安不倫事情

文学の中の話だけでなく、現実の平安貴族社会でも不倫(浮気)は珍しくありませんでした。特に有名なのが女流歌人和泉式部(いずみしきぶ)です。彼女の恋多きエピソードは、当時から「スキャンダラスだけど情熱的」と話題になりました。

和泉式部の奔放な恋愛事件簿

和泉式部は才色兼備の女性で、その歌才と恋のうわさで宮廷中の注目を浴びていました。彼女は一度結婚して夫がいましたが(橘道貞との結婚)、なんと既婚のまま皇族の男性と恋に落ちてしまうのです。

  • 親王との恋:和泉式部が関係を持ったのは敦道親王(あつみちしんのう)という帝の皇子でした。彼女は夫がありながらこの親王と公然と恋愛関係になり、情熱的な和歌のやりとりを交わします。2人の関係は世間にも知られ、噂好きの貴族社会は大騒ぎ。​案の定、彼女の父親は激怒して勘当(勘当=親子の縁を切ること)し、周囲の人々や同僚女性たちからも白い目で見られてしまいました​。紫式部も彼女の奔放さには眉をひそめた一人だったようです​。
  • 連続の不倫:悲劇的なことに敦道親王との恋は長続きせず、親王は若くして亡くなってしまいます。しかし和泉式部はめげません。その後、今度は敦道親王の弟である帥宮(そちのみや)とも恋仲になります。立て続けに皇子兄弟二人と関係したものですから、「次から次へと男を変える」奔放ぶりだと噂され、「平安宮廷一の恋多き女」の異名を取ったとか​。このあたり、現代でも連ドラのヒロインばりの恋愛遍歴ですよね。

和泉式部自身はこれらの恋を通じ、多くの名歌を残しています。彼女の日記的作品『和泉式部日記』には、親王との恋の駆け引きや逢瀬の様子が赤裸々かつ雅に綴られており、まさに平安時代のリアル恋愛ドキュメンタリーといった趣です。

恋に生きた女のその後

不倫に溺れた和泉式部ですが、その後の人生は意外な展開を見せます。彼女の不倫相手だった親王が亡くなった後、あの藤原道長が和泉式部を高く評価し、娘の家庭教師として宮仕えさせました。そして道長の勧めで、和泉式部は再婚することになります。お相手は武名高い藤原保昌(やすまさ)という男性でした​。

藤原保昌は和泉式部の奔放な過去も受け入れ、二人は夫婦となります。和泉式部は宮廷を離れ、保昌と共に地方赴任にも同行しました。情熱的な恋愛を経て最後は落ち着いた伴侶を得たとも言えます。

面白いのは、藤原道長自身が「いい男やいい女が不倫しちゃうのは当然じゃないか」と思っていた節があることです​。天下の権力者・道長公がそのように考えていたくらいですから、当時の恋愛観は意外とおおらかで、多様な関係を許容していたのかもしれません​。

とはいえ和泉式部の場合、結果的に父から勘当されるなど社会的なペナルティは受けていますし、周囲からも批判されました​。完全に「不倫OK」と手放しで賞賛されたわけではありません。彼女が特別に才能ある女性だったため、その後名誉挽回のチャンスを得られた、とも言えるでしょう。

平安時代の恋愛観と倫理観:不倫はアリ?ナシ?

ここまで見てきたように、平安時代の貴族社会では恋愛そのものは非常に自由奔放でした。男女がお互い惹かれ合えば、身分や相手の既婚・未婚を問わず恋に落ちることは珍しくありません​。実際、多くの和歌集や物語文学がそうした自由な恋愛模様を描いており、「恋は自由にして良いもの」という価値観があったのは確かです​。

しかし一方で、当時から一定の倫理観や制約も存在しました。整理すると:

  • 男性の浮気は公然と容認:夫が複数の女性と関係を持つことは「浮気」ではなく「正妻以外に妻(側室)を持つこと」として社会的に許容されていました。法律で一夫多妻が定められていたわけではありませんが、「高貴な男性が何人も妻を持つのは当たり前」という風潮です。例えば藤原道長クラスになると妻・愛人合わせて10人以上いたわけで、それを文化人たちも特に非難していません​。むしろ多くの女性にモテることは男の魅力・力の証と捉えられていた節があります。
  • 女性の不倫は賛否両論:一方で、妻の立場にある女性が夫以外の男性と関係を持つことは、やはり難しい立場に置かれました。和泉式部の例では家族から勘当され、同僚女性からも顰蹙(ひんしゅく)を買っています​。つまり「妻」は貞淑であるべしとの建前はあったのです。ただし、だからといって女性の不倫が皆無だったわけではなく、宮中の女房たちも実は複数の男性と密かに関係を持っていた…なんて記録もあります​。要は表向きは慎みを求められつつ、実際には結構みんなやんちゃしていたというグレーな状況ですね。
  • 時代とともに変化:平安時代も長いスパンで見ると、恋愛・不倫に対する見方は変化しました。9世紀〜10世紀前半(平安前期)くらいまでは、比較的男女関係はおおらかで、女帝が立つほど女性の地位も高かったと言われます​。10世紀半ば以降(摂関政治の時代)になると男性優位が強まり、人妻の密通はタブー視される傾向が強まったとも指摘されています​。例えば『伊勢物語』(10世紀初頭成立)では人妻との恋がさらりと描かれていますが、『源氏物語』(1000年前後成立)では不義の恋が登場人物を苦悩させるテーマになっています​。つまり、同じ不倫でも物語の描き方が時代によってシリアスになっていったのです。このことから、中・後期の平安社会では不倫に対し多少厳しい目も向けられるようになっていたと考えられます。

総じて言えるのは、平安時代の恋愛観は「恋は人生の大事な彩り」という意識が強かったということです。身分制度や政略結婚に縛られがちな中で、和歌や物語の世界では人々は自由に恋を楽しみ、その想いを作品に残しました。その意味で「恋愛は公然と認められていた」とする研究者の見解もあります​。

もっとも、現代のように明確な法律や婚姻制度のルールがあったわけではないので、実際のところ皆が好き放題だった…というわけでもありません。誰と誰が関係を持ったとか、どの妻が正妻だとか、周囲の目もあって微妙なバランスの上に成り立っていたのが平安貴族社会の恋愛模様だったのです。

現代と平安時代の恋愛:違いと共通点まとめ

最後に、現代と平安時代の恋愛の違いと共通点を簡単にまとめましょう。千年の時を経て、変わったこと・変わらないことが見えてきます。

現代と平安の主な違い

  • 結婚制度の違い:現代日本は法的に一夫一婦制で重婚NGですが、平安時代は実質的に一夫多妻(正妻+側室)制でした​。夫が複数の妻を持つのは普通で、妻同士も「あの方は二号さんね」みたいに受け入れていた面があります。逆に現代は法律上一人しか配偶者を持てませんし、婚外恋愛(不倫)は離婚訴訟の原因にもなります。制度的には真逆ですね。
  • 夫婦の生活様式:平安の通い婚では夫婦別居が基本でしたが、現代は結婚したら一緒に暮らすのが当たり前です​。平安貴族は妻の家に通い続け、妻側の実家で生活することも多かったのに対し、現代夫婦は新居を構えて独立するのが一般的です。​
  • 恋愛のアプローチ手段:現代は直接会ったりデートしたり、スマホでメッセージ交換したりとリアルタイムなコミュニケーションができます。一方、平安時代は顔を直接見る機会すら限られ、和歌や手紙といったスローな文通がメインでした。デジタルどころか全てアナログ。それでも相手の気持ちを一生懸命考えながら文章を書く点では、ラブレターの本質は同じかもしれませんね。
  • 恋愛と結婚の関係:現代では恋愛の延長線上に結婚がありますが、平安貴族の場合、結婚(婚姻)は家同士の繋がりという側面が強く、恋愛=結婚とは限りません。政略結婚で形式的に結ばれた相手とはそこそこに、心のときめきは別の恋人に求める…なんてこともありました。いわば「心の妻(恋人)」と「家の妻(正式な妻)」が別、なんてケースもあったのです。

今も昔も変わらないこと

  • 人を想う気持ち:千年前も今も、人を好きになる気持ちそのものは変わりません。好きな人からの便り(昔は手紙、今はLINE)が来なくてヤキモキしたり、返事が待ち遠しかったり…平安の女性も「まだかしら」と手紙を握りしめていたことでしょう。恋にときめき、恋に悩む気持ちは時代を超えて共感できます。『源氏物語』や多くの恋の和歌が今なお人々の心を打つのは、人間の恋心が普遍的だからでしょう。
  • 男女の駆け引き:恋の主導権争い、押したり引いたりの駆け引きも万国共通・万年代共通です。平安の貴公子たちは和歌でさりげなく想いを伝え、女性側もすぐにはOKせず一度は断ってみせる…というように高度な駆け引きをしていました​。これは現代の恋愛でも「すぐ返事しないで少し焦らす」といったテクニックに通じるものがありますよね。恋愛上手はいつの世も戦略家なのかもしれません。
  • 嫉妬と葛藤:恋愛に嫉妬はつきもの。平安女性も夫が他の女性のもとに通えば胸を痛めました。藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)が書いた『蜻蛉日記(かげろうにっき)』は、夫(藤原兼家)の浮気や不実に悩む妻の心情を赤裸々に綴ったものです。彼女は夫の愛が自分に向かない寂しさから出家まで考えますが、それでも葛藤する様子が記されています。現代でもパートナーの浮気に苦しむ人はいますし、その心の動きは千年前の日記からも読み取れるのです。つまり恋愛の喜びと苦しみはいつの時代も人間のドラマだということですね。

まとめ:平安の恋はドラマチック!

平安時代の恋愛と不倫事情、いかがだったでしょうか。平安貴族の恋は和歌に彩られ、夜闇に紛れて愛を育むロマンチックでドラマチックな世界でした。結婚は家と家の結びつき、その裏で人々は自由に恋のやりとりを楽しみ、不倫も含めて様々な愛のかたちが存在したのです。

現代の感覚からすると「ありえない!」と思うような通い婚や複数の妻という習慣も、当時としては社会のルールに則ったもの。​一方で、人を愛する気持ちや嫉妬・切なさといった感情は今も昔も同じ。和歌や物語を通じて私たちは平安の恋に共感したり学んだりできます。現代では一夫一婦制の下、不倫は「悪いこと」とされますが、それでも恋に落ちると人は周りが見えなくなることも…。千年経っても恋愛は人間にとって普遍のテーマなのでしょう。

平安時代の恋愛事情を知ると、現在の私たちの結婚観・恋愛観もまた別の角度から見えてきます。当時の人々の恋模様は、私たちに「恋とは何か、夫婦とは何か」を考えさせてくれる貴重なヒントかもしれません。雅びやかな恋文に思いを馳せつつ、現代の私たちも自分なりの素敵な恋愛を楽しみたいですね。

他のコラムを読む

Related Articles
江戸時代・吉原の恋愛事情 – 大河ドラマ『べらぼう』の舞台から見る愛のかたち

江戸時代・吉原の恋愛事情 – 大河ドラマ『べらぼう』の舞台から見る愛のかたち

既婚者専用マッチングアプリ

Cuddle(カドル)
既婚者専用マッチングアプリCuddle(カドル)とは
マッチングアプリ「Cuddle(カドル)」は、結婚後も異性の友達・セカンドパートナーを簡単に探せる既婚者専用サービスです。
AIが自動でオススメのお相手を提案してくれます。
いますぐ使ってみる